建設現場勤務|28歳|人間関係と体調不良による退職

建設業

この記事では、耐震工事関連の建設現場で働いていた28歳の元従業員・水野さんが語る、過酷な職場環境と退職に至った経緯についてご紹介します。

仕事内容:建設現場での1日の流れ

ある日のスケジュール例

7:30 現場到着
8:00 安全確認(KY)
8:30 現場準備
9:00 作業開始
10:30 休憩
10:45 作業再開
12:00 昼休憩
13:00 午後作業再開
15:00 休憩
15:30 作業再開
16:40 作業片付け
17:00 帰宅

勤務形態と待遇

勤務時間は9:00〜17:00、週休2日制。月収はおよそ25万円で、ボーナスはありませんでした。 現場では重機の音が大きく、耳栓が必須。保護メガネやヘッドライトを装着して作業するため、視界も悪く、常にストレスの多い環境でした。

耐震工事現場での勤務スタート

水野さんは28歳のとき、知人の紹介で耐震工事関連の建設現場に正社員として就職しました。勤務時間は9時から17時、週休2日制で、月収は25万円。ボーナスはありませんでした。

仕事は朝7時半には現場入りし、8時に安全確認(KY)を行い、9時から本格的な作業が始まります。重機が常に稼働しており、耳栓と保護メガネ、ヘッドライトが必須の環境でした。

視界と騒音のダブルストレス

「とにかくうるさくて、視界が悪い。長く続けたら体を壊すと感じた」

マシン音が常に響く中で、耳栓をしての作業が当たり前。加えて暗い場所ではヘッドライトと保護メガネが必要となり、視界は非常に悪かったといいます。

「保護メガネをかけて、ヘッドライトをつけ、耳栓をした状態で作業する。その中で非言語のコミュニケーションが重要になるのですが、無視されることが増えていきました」

こうした環境が日々のストレスとなり、精神的にも次第に疲弊していったと水野さんは振り返ります。

現場の人間関係に苦しむ日々

最も大きなストレスは、人間関係でした。

「合図を無視されたり、罵声を浴びたり。仲間として扱ってもらえない感覚がずっとありました」

半年が過ぎたころから、手サインでの指示に無反応だったり、工具を勝手に使われたりと、無視や嫌がらせのような対応が増えていきました。

「この現場では、仕事ができないやつに人権はない、という空気でした」

実力主義の名のもとに、支援や共感の余地はなく、孤立感は深まっていきました。

「もしも『大丈夫か?』『何かあったら相談してくれよ』といった一言があったら、自分も少しは違ったかもしれません」

精神的限界と退職の決断

「毎日お酒ばかり飲んでいて、ある日帰宅したら体が動かなくなっていた」

押し入れのような部屋に一人で住み、仕事仲間との関係もうまくいかず、自暴自棄になっていた水野さん。ある日、仕事から帰宅すると、突然体が動かなくなりました。

「流石にヤバイと思って、身内に助けてとメールを送りました」

実家に帰省したことで、わずか数日で体調も精神も回復。無理をしていた自分にようやく気づけたと語ります。

フォークリフト作業員として再スタート

退職後、水野さんは茨城県の倉庫でフォークリフト作業員として再就職。ピッキング中心の業務で、チームとの連携が不要な一人作業が主です。

「気持ちがとても楽。ミスしてもすべて自己責任だから、誰にも責められないのが気楽なんです」

人と密な連携を求められない環境が、水野さんには非常に合っていたといいます。

これから現場に入る人へのメッセージ

「私は向いてなかった。でも、現場仕事は立派な仕事。挑戦する人は、心から応援したいです」

「私みたいなコミュ障気味の人間には向いてなかった。でも、現場仕事をできる人は本当にすごいと思う。やりたい人はぜひ挑戦して、頑張ってください」

理解ある仲間がいれば、状況は違ったかもしれません。自分に合った働き方を見極めることの重要性を、身をもって実感していると語ります。

まとめ

  • 建設現場は騒音・視界不良という物理的ストレスが大きい
  • 人間関係による精神的な孤立が退職理由に直結した
  • 現在は一人作業中心の職場で、自分に合った働き方を実現

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